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2012年2月26日日曜日

My日本宮城2月お茶会

土曜日は秋田。
日曜日は仙台でお茶会です。

今回は顧問の先生より、日本の軸についてのお話、そして各自より仙台での活動報告などなど。
最近縁の深い方々が教育関係を熱心にやられていて感心しきりでした、負けないように頑張らねば。

2012年2月24日金曜日

3月3日、靖国神社にて

はやいもので震災からもう一年。
果たしてこの状況で通えるのかと思いつつ、なんとか頑張れた活世塾。
ありがたくも5分、最終回で頂けることになりましたので、他の発表者に恥ずかしくないよう、私のテーマである「被災地からの日本復興」を訴えていければいいなと思います。

とくに私が思うことは、政治の本質が失われているという点。
私は熱心に政治史を学んだ人間ではありませんが、現代日本政治は調整者が大半を占めています。ある国会議員に言わせると、
「保守も革新も世論が割れるのであれば、そこはストレートに中道を行かねばならない、なぜなら真ん中を通らなければ選挙に勝てないし、我々はそれでこの地位を頂いているのだから」
とのことですが、私はそうは思いません。
両端に意見があるから間を調整しましょうでは、正しい発言や行動でさえも逆方向に引っ張られ、おかしな方向に流れてしまうことがたびたびあるからです。

調整が必要な事案というのは偏り過ぎた部分を是正するために、後から行うべきものであって最初から調整して落としましょうというのは筋が違うように私は思います。

では政治とはなんぞや?という話になると思いますが、私が間近で見て本物と思う方たちに共通している部分はその信念であり、その指導者としての決意こそが政治家を政治家と定義するものなのではないかなあと最近思うわけで。

とにかく、まずはその信念の発表の場として5分、大事に使わせて頂きます。

その前にそろそろこちらを整理しろというお話もちらほら ;;

2012年2月22日水曜日

塩釜にて

先日は不動産関係の方と勉強会でした。
講師に塩釜神社宮司を招き、新刊である「特攻魂のままに」を題材に教育の問題を掘り下げて議論して参りました。

ひとつ、日本において欠けていると思われるのは精神美です。
私ごときが講釈たれてもどうしようもない気がしますが、被災地である石巻にいるからこそ、公徳心や道徳、そういった概念を強く意識致します。それは極限にあって人間がどうあるべきか、その美醜を直接拝見し、なんと素晴らしいことだろうかと心底感動したことが私の原点にあるからです。

かつてオーストラリアへ特殊潜航艇で突入した松尾中佐は、かつて三島由紀夫が書き示した通りの見事さでもって、現在ではオーストラリアで子供たちに勇気の表し方を学ぶ題材として使われているそうです。
教育勅語がアメリカをはじめ、欧州で教育の題材として使われていることは有名ですが、中国でもこれが使われているそうです。
使っていないのは日本だけというのはなんとも摩訶不思議、あべこべな気が致します。


2012年2月19日日曜日

新しい歴史教科書をつくる会 宮城

新しい歴史教科書をつくる会 宮城支部の例会です。

今年は古川学園で自由社の教科書が採択されておりますので、これに続くよう活動したいと思います。
教育の根幹にある問題は非常に複雑です。
先日、高橋史朗先生から受けた親学しかり、道徳であったり歴史であったりと複雑です。
教育の外枠は教科書問題をはじめ、利権の匂いがしますので、そういう状況で自分の子供にどう教育を受けさせるのかは非常に考えさせれます。

自由の英語定義は4つあると高橋史朗先生はおっしゃいました。
・Freedom
Liberty
・Nirvana
・Salvation


現在、日本で教えられる自由の意味は抑圧からの解放であるLibertyだけです。
ここで重要なことはSalvation:他者を救済するという自由、つまりは利他主義も自由であるという点ではないかと思います。
被災地が何故に素晴らしい公だと讃えられたのか、Salvationを根底に持つ教育が正当なのではないかと思います。



やすくに活世塾第9回講座

と、いうわけで修身Blogはじめました。

やすくに活世塾2期、第9回講座ということで行って参りました。
仙台で佐藤さんと合流し、一路東京へ。

遊就館を見学しながら二人でぶらぶらし、お昼はカレーです。









今回の講師は塾長である高橋史朗先生。教育者として馴染みの先生で、NHKなどにもたまに出てらっしゃいます。


今回は先生の親学を中心に講義されました。
2歳の子供を持つ親としても、故郷の行く末を心配する国民としても教育は重要な問題です。

帰り道、ぜひ宮城に呼びたいねえと佐藤さんとお話しして帰りました。教育論として素晴らしい講義です。

親は子供の鏡(かがみ)
子供は親の鑑(かがみ)

という言葉を教えて下さいました。
子供は親を見て育ち、親は子供を観て親になる。

残念なことに故郷石巻は震災により、自助>共助>公助のバランスが崩れており、さらには家族構成も社会環境変化により危ういバランスになっております。
公助が必要なことはもちろんですが、震災で見せた共助、そして土台となる自助意識をどう取り戻していけるのか。石巻の課題は非常に大きいように思います。