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2012年3月30日金曜日

自転車について

ふと、仕事中、車で動いていた時、自転車事故を目撃しました。
学生が横断歩道を通行中、確認なしで進入してきた車両に当てられたようです。幸い大事ではなかったし、周りの人も次々助けに入っておりましたのですぐに収拾ようでした。

自転車は基本的に車道を走るものと法もありますが、残念なことに日本の車道は自転車が走るには適していません。競技用となればちょっと踏めば時速30キロまで余裕であがる代物です、歩道を走るのはもちろん危険ですし、高速では不意に出てくる車両や歩行者を避けようもありません、が、日本の車道は路肩が狭く走りづらい為、道道で走る場所を変えているのが現状です。

無論、競技用というシロモノですから、競技できる場所で走るのが筋であります。
車同様、道路で楽しませてもらっている趣味ですから、住み分けができるよう、法と現実、そして環境の整備が必要かと思います。
特に歩道の場合、濡れたマンホールなどはスリックで乗ると一発で滑りますから、出来れば車道を走りたいのですが、路肩が狭いとぎりぎりで抜かれるので風圧でバランスが崩れる、怖いとなかなか難儀しております。

さて、被災地では自転車が増えたように思います。
住環境の変化もあるし、車両が流され自転車で代用している方も多いわけで、自動車で走られる方は左折時に気を付けないといけないのかなと先の事故を見て思いました。
私自身、震災後2回ほど轢かれそうになったことがあり、特に車道を走る際は車の動向に気をつけて運転しております。

ある意味でリセットされている街ですから、道路だけではなく自転車道にも配慮したまちづくりにすれば、住みやすい街になるんじゃないかなあと思いました。
ニューヨークや北ヨーロッパあたりではもう道路の脇に自転車道を設置しています。国土の狭い我が国ではなかなか難しいかもしれませんが、たとえば第一車線を50センチ広くとってもらうだけでも変わってくるのかなと思います。

特に震災後の環境変化がありますから、なるべく子供を安全に登下校させる道路整備も並行しなければ石巻市に残ってくれる人口が減るばかりなのかなあと心配になったり。

2012年3月26日月曜日

同志の活躍を素直に喜べ

という誓が林英臣政経塾にあります。
先程NHKをぼんやりかけておりましたら、林英臣政経塾で共に学んでおる渡辺勝幸さんが取材されておりました。
維新政経塾とふたつ、並行して学ぶその姿勢には本当に感服致します。
ぜひ持ち帰って頂いたものを4月講座で学びたいと思います。

負けないように頑張らねば!というわけではありませんが、本日は午前中は市役所で打ち合わせをし、午後は地元経済誌とのお話です。
経済誌とのお話なのでなるべく経済面でのお話をするつもりだったのですが、どうも話していくと政治で詰まってしまいます。
社会構成、経済流通、制度設計、さまざまに絡む力学の中で、どうも政治が復興どころか足を引っ張っている、その点を会話していく内、改めて実感させられました。
とくに若者に責任と決定権を、という内容でお話ししていく時、自分でも気づかないところにアイディアが潜んでいるものだと会話の大切さを実感させて頂きました。

私がとくに重視する要素に、実際に会って話す、という部分があります。
会って話すときのその情報量はネットの文章から得られないものがあります。それは知識としてのそれではなく感情としての情報です。本日お話ししていく中、ある震災において殉職なさった警察官のお話になったところ、知らず知らず記者さんと私と涙声になって会話していました。

交えた感情の中で、私の願いでもある前進の意味、背負って進むという復興の在り方の意義を再確認致しました。本当に有意義な時間をありがとうございます。

2012年3月25日日曜日

大阪盛和塾様

青年会議所より大阪の盛和塾様と交流会があるとのお誘いがありましたので参加させて頂きました。

紆余曲折があり、遅参してしまい大変申し訳ありませんでした。
被災地の具合とそこからの展望などをお話させて頂きましたが、下敷きなしの状態でしたので満足頂ける内容だったかどうか。

交流会で感じたことは、とにかく関西は熱い!
私が副代表をやらせていただいておる石巻復興支援会、こちらと繋がっておられる関西勢と繋がりの方がいたりして、いやはや、世の中狭いものだと実感させられます。

ついぞ考えさせられますが、これだけ熱い支援がある中で、我々自身が被災者としてどうあるべきかについては誰も語っていないのだなと感じます。
経済的な応援、精神的な応援と、一年が過ぎた中でも様々に皆さんが時間を使い、被災地のためと頑張ってくれておる中で、我々自身が立ち上がるという単語を、私は説得力在る言葉で聞いたことがありません。

おんぶだっこではいつか破綻し、見限られます。
ビジネス、勉強でもそうですが、期待に応えてこそ成長と結果がついてくるもの。応えるとは成功や失敗ではなく、進む意思です。我々が被災者として出来ることは何か、被災地から日本のためにできることは何なのか。一歩進んだ視野で政治、経済、社会と動いていかなければならないなと思います。

交流会の後、ロードバイクでポタリングしながら帰宅です。
少しはカロリー消費したかしら。

2012年3月24日土曜日

松島 竹の学校

某社長松島までボランティアに行って参りました。




















石巻からわざわざとびっくりされましたが、今回はその目的とスキームが面白いので参加致しました。

内容は竹林の整備です。
竹は一年で強いもので一メートル伸びるものもあるそうで、と、なれば竹林がいつの間にか民家に侵食してくるケースが年々増えているそうです。
同じように後継者のいない林業、そして管理者のいない山や農地など、人間が田畑から都市へと居住空間を変えるにつれ、かつては人間が手をかけ共生していた自然がかえって厄介者のようになってしまう。
とくに農家など、若い手のないところにそのしわ寄せが来ており、そういったところでボランティアなどを有効活用するのは非常に良いアイディアだと思われます。

町ぐるみでの応援もあるようで、宿泊は地元大観荘(ここのフレンチはなかなか美味しい)で、指導は林業組合でやってくれます。こうした後押しがあれば、ボランティアを受け入れて自然の整備などもやってみようという気持ちになるでしょう。

あとは一番に予算ですが、こればっかりは地方自治での裁量では厳しい。
一方でここに職がある、給料があるとなれば人も集められるはずなので、国単位でのバックアップが必要かと思います。ワープアや就職難の本当の正体は、金の総量にあるのではないかと日々思います。被災地復興もそうですが、需要のある今だからこそ紙幣増刷の効果があるのではないでしょうか。

余談になりますが、農家の方で休憩させてもらっている折、ふとした話題から領土、国家意識という話題に発展致しました。私と社長以外は学生さんでしたが、皆よく考え、よく情報を調べているなと実感しました、若い人はよく勉強しています。

2012年3月20日火曜日

批判からは何も生まれない

本日は懇意にしていただいている社長と友人で居酒屋です。

「批判からは何も生まれない」
という言葉を本日は頂きました。

批判の要不要の話ではなく、そこに案がなければ希望がない、希望のない批判は矛でしかない、という智だと思います。
とくに昨今「アラ」が見えやすい時代、社会、世相ですと批判することが目的化することが多々あります。事実、去年の私の様を見て、本を読め、これを読めと進めてくれた大先輩がおり、今さらながらこういうことを言いたかったのかと得心致しました。
幸い、先日のスピーチの反響はなかなか良く、主張と批判と未来を、順番はともかく混ぜてしゃべっておったのかなあと自己採点しておりました。

希望というものは非常に難しい。
人気取りのためならば何でも言える気がしますが、それでは芯のない希望になってしまいます。かといって現実主義では未来を引き寄せられない、政治とは未来をたぐり寄せるツールだと私は思っておりますゆえに、どういうビジョンで何を言葉にすればいいのか、まずはそこをきちんと腹から出せるよう、精進しようと思います。

2012年3月19日月曜日

言葉って難しい ><

先週はとにかく忙しく、4日間は仙台にいる状態でした。

その中でも青年会議所の例会、地元企業とのお話し合いなどなど、充実した日々を過ごしております。
日曜日は20分程度スピーチする時間を頂いたのですが、原稿作りのコツを林塾で同期の渡辺さんにお聞きしたやり方で挑戦してみました。

結果、内容としてはまずまずまとまっておりましたが、やはり早口 ><
原稿をつくった場合、文語であるがゆえの問題と早口が問題だと思っていましたが、原稿なしでも症状は改善しません。
靖国ではかなりいい線いけてたので気持ちの問題でしょうか。
次はがんばります。

さて、肝心の中身ですが、言いたいことは言えたような気がしますが、なんとももどかしい。こういう言葉がよかったのではないか、こういう展開のがよかったのではないか、終わったあとに来る反省の念は非情に強く、毎回乗り越えるのが大変です。

諸先輩方を見ると非常に素晴らしい言葉をつむぎますので、まずはそこから盗んでいこうかなと思います。

2012年3月11日日曜日

あれから一年、復興は成ったのか

一年が長いか早いか、その主観や行動によるところが大きいのですが、私自身は(ある意味誤解される言い方ですが)充実した長い一年だったと思います。

震災直後、ある尊敬する方が私に言った言葉。
「もう日常には戻れない」
という言葉が、様々な意味できっかけになりました。
そういう出会いやきっかけという意味では非常に充実した、一方でこの悲惨さに何度泣いたことかわからない一年です。
引っ張ってくれた友達に本当に感謝したい、絆という言葉の意味を噛み締めた一年でもありました。

その仲間と活動する「石巻復興支援会」の中で評価されてきた「自主・自立の理念」はどこで語っても恥ずかしいものではなく、むしろ共感をもって聞いてもらえたことが大変嬉しく思っております。
この理念を持つに至ったことは、「石巻復興支援会」の中で共有される被災現場の情報と、市政から感じられる教育、精神的復興への関心のなさがきっかけでした。

今はいいだろう、炊き出しやボランティアも大勢いる、しかし彼らは一過性のものであるべきです。我々の祖先がこの街をつくってきたのだから、帰属意識を持つものが復興の主役でなければなりません。
震災後は引きこもり気味な私が信じられないくらい各所を飛び、様々な人から励ましを受け、情報交換をしましたが、応援してくれる人々に共通している復興のイメージとは「再び栄え、反映する」につきます。
一過性の応援団はほんとうに有難い、しかし応援されるプレイヤーに主体意識が無ければどうなるか。スポーツであれば面白みに欠け、仕事であれば結果は出ないでしょう。

この線引きが、今の石巻は上手くいっていない気がします。
住民をどのようにプレイヤーにし、主体意識を持って街を創り上げていくのか。
その結果次第では、ひょっとしたら日本の没落さえも吹き飛ばしてしまうだけのパワーを持っている、今の被災地はそれだけの可能性がある土地だと私は思います。

今年一年、踏ん張りどころです。

林英臣政経塾3月例会

本日は文明周期論という題材です。
村山節先生が提唱しておった学問ですが、主流派ではないです。



私の場合、学問を体系的に学んだことない分だけ幅が広いことがメリットだと思っておりますゆえに身には落としやすかったのかなあと思います。
とくに文明周期分けですが、有機体として文明を見た場合、人間同様「老い」のプロセスを踏むわけで、そこに互いの文明が影響しあうという概念は非常に面白く聞けました。

「文明の衝突」、そして挫折したフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」に通じるものがあり、今なら読み返せそうな気がします。

人が自身の成長を自覚できるときはあまりありません。
その時その時に失敗し、挫折したことが何年か後、いとも簡単にできている、そういう体験を皆だれもが持っているはずで、それがおそらくは成長の実感だと思います。

人間は哀しいかな、小さな変化にはひどく鈍感で、大きな変化には身構え、時に否定してしまいがちです。
日本の戦後もそういう小さな小さな歪から、徐々に国家観というものが喪失していったように感じます。
私が歩む小さな一歩が、いずれは石巻の、日本の小さな変化のうねりになるよう、修身していければなと考えております。

2012年3月5日月曜日

やすくに活世塾、卒業!




無事、卒業出来ました。

最後の塾生発表ではまさかの4班全員発表。じゃんけんで負けた班長とはいえ、鼻が高いです。

紅一点が先に帰宅しちゃったので野郎どもで、お疲れ様でした!

各自の発表ですが、N君は地元で、K君は消費しない生活を、S君は僕の腹突っついてる感じですね。僕は被災地の今と日本人の問題を取り上げて語りました。最後の締めで迷ったものの、ゆっくりめに話せたので私的にも及第点です。
最初2名がまさかの原稿なし、な上に泣けてくる内容でプレッシャーが凄まじかった…

意外だったのが、被災地の現状があまり広まっていない点、当然美談だけではないし、美談もいっぱいあるこの時期、この土地だからこそ、道徳の尊さや精神の在り方について、語る言葉に説得力が増すと思います。
今、被災地から何を発信できるのか、何を発信するべきなのかを真剣に考えないと、長期的な復旧であり、本当の復興に辿りつけないかもしれない、自分はそんな危惧を抱いております。


今回、心に残った内容は、祝辞を述べられた社長様の「この塾に行かせた人間は顔つきが変わる」というもの。歴史というものを学ぶ機会が減っておりますし、額面ではなく生の感情の部分が非常に大きく心に響いてきますので、それも納得の内容です。
また、必ず設けられる議論の時間が非常によく作用しており、塾生の相互成長に一役買っていると思います。企業での研修にもこういう場はいいと思いますので、経済的な実利はないかもしれませんが、年2万円でこれが学べると思うとお得かも?!

念願であった二次会も無事行い、再会と相互連絡を誓い合っての解散です。
最後になってようやく名刺交換できた方もいましたが、ひとまずはお疲れ様でした!

2012年3月2日金曜日

活世塾、最終回

いよいよ卒業です。
正直通いきれるか不安はありましたが、様々な方の助けでなんとか卒業できそうです。

昨晩は神戸プライベートフェニックスの大塩さんと、四月に喋らせて頂ける機会を得ましたので打ち合わせを少し。
非常に斟酌して言葉を話す方なので、会話をしているだけでも学ばせて頂ける方です。

そして明日、靖国で5分時間を頂けたので発表内容を考えておりました。
靖国神社で語る機会などはめったに無いことですから、緊張しつつも自分のテーマである「被災地からの日本復興」を語ってきたいと思います。



原稿を考えている中、参考にと前回、高橋塾頭から頂いたレジュメに台湾から送られてきた「東北関東大震災祈祷平安和歌文集」を覗いておりましたところ、

・筆談で 「日本どうか」と聴く爺の 手を取りぎゅっと唇噛み締む

今年台湾に行こうと、仲間と企画しておる中ですがいよいよグッと来ました。
ほかにも20首ほど紹介されていますので、いつか折を見て載せていきたいと思います。