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2013年5月28日火曜日

金華山、視察

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鮎川港から金華山へ視察に行って参りました。
支所長様から復興計画を詳しく聞き、そののちに現地視察という流れです。 

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写真はホエールランドの跡です。
捕鯨の町として栄えた過去を持つ鮎川。実はほぼちょうど一年前に、尊敬する荒川区議の小坂英二先生と金華山へ行く機会を得まして、鮎川には訪れております。当時と比べてもあまり進展がないように感じましたが、支所長様の説明のよれば住民との対話は終わっているようなお話でしたので、あとは実行の段階となるのでしょう。25年度中に終了見込みの工事が多数盛り込まれておりました。

復興計画自体は他自治体と変わらず、防波堤から内陸に街を広げていく形ですが、店舗は海が見えるところがいいということで、防波堤の上にもってくる形で計画が進んでおります。鮎川の地形の問題として、上下水の配管の問題で難儀しているとのことでした。

特に、私個人は鮎川と言えば鯨!という印象を持っておりましたので、そのあたりを詳しくお聞かせ頂きました。
やはり年々、捕鯨による地域への貢献度は減少しているそうで、復興といった時にどこまでやるべきなのか、資料館的なものでいいのか、捕鯨という文化まで考えるべきなのか、結論はまだ出ていないとのことでした。

変わってしまった日本の食糧事情と、追い打ちとなる反捕鯨団体による圧力。
地場の文化として残していくには厳しい状況の中ですが、国内消費だけでもどうにか出来ないかと思います。 


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続いて金華山へ渡ります。
こちらは復旧復興の目処はたっておりません。
 主な被害は震災ではなくその後の台風だったのですが、被害が大きく一神社ではどうにもならないそうです。 

霊山として名高く、観光資源としても価値ある神社ですから、しっかりと整備していただければと思います。
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かねたまる会という面白いネーミングですが、金華山には逸話があり、三年続けてお参りすると一生お金に困らないそうです。これに由来しているのですね。
また、かつては弁財天様もお祀りしていたため、芸能人の方がお忍びでこられることがおおいとか。

震災で倒れた狛犬などの修復は、遠方から来てくださったボランティアの方がやってくれたそうです。

今震災で見なおすべきものに、政教分離があるように私は思います。
込み入った話になると限定分離やら完全分離やらと話が深くなるのですが、震災で避難所として一番機能したのは神社仏閣教会です。
それも、日頃から行政とマッチングしていたわけではなく、地域に溶け込んでいたから機能したのだと私は考えております。

今後、防災といったときに当然備蓄や整備という話になるでしょう。
また、あたらしいまちをつくるにあたり、こういった拠り所が必要になると思います。

地域コミュニティの中心として、こういった施設がきちんと機能するようにもう一度神社仏閣教会を問い直す時期にいるのではないかと思います。

2013年5月18日土曜日

自立と支援

Facebook上ではご報告させて頂きましたが、無事、当選致しました。
復興の一助として即戦力が求められる今です、精一杯頑張って参ります!

昨年末から、支援ボランティアの方とお話させて頂きました。
その中で、私が必ず伺うのは「復興とは何でしょうか?」という質問です。
9割の方は「被災地の自立」だと答えます。

 人はひとりで生きてはいけません。
その一方、おんぶだっこではいけません。
「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいをもとめぬよう」
自治三訣といいます。関東大震災のおり、復興院総裁として活躍した後藤新平が、ボーイスカウトに発した言葉だと記憶しております。

先日、相談された案件で、仮設住宅の消毒の問題があります。
すでに2年が過ぎた仮設住宅ですが、地域バラバラの編入のせいか、自治会が発足できず、集会場の管理を頑張ってやってらっしゃる方からの相談です。 
そういう状況ですから、行政が消毒のための機材を貸してくれても人手が足りない、そんな悩みでした。これはなかなか難しい、素直にそう感じたのを覚えております。

ボランティア関係の知人に相談したところ、私と同じように考えてくれました。
「ボランティアを派遣してやってもらうことはできるかもしれない、けれども消毒は本来各地域でするもので、これを任せてしまっても結局繰り越しになるだけだ」
やってもらうことは一見楽かもしれませんが、私たちの目指す復興から遠のくのではないか。
相談した方が同じように考えてくれたことを嬉しく思い、現在は共同歩調を調整中です。

ある支援ボランティアにこういったことがあります。
「ボランティアの中には被災地にレゾン・デートル(存在意義)を求めている方もいる。一方的な世話だけをして自立意識を妨げることは将来的に決して被災地のためにはならない。その線引きをしっかり出来る団体こそが残るべきだ」
彼は「寄り添う」という言葉でその線を表現しておりました。
自治三訣に辿り着けるまでどうお互いに寄り添うべきなのか、距離感が大事な時期かもしれません。