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2013年8月26日月曜日

松島基地開庁記念事業に参加してまいりました

8月25日、松島基地開庁記念事業に参加してまいりました。

ブルーインパルスのパイロットさんとお話したり、松島基地の役割についてお話を聞いてまいりました。

防衛大綱上、松島基地は訓練基地という扱いになるそうです。
現状、予算といった面で大変なようで、特に機材、設備については民間機と同型のセーフティー装置が搭載できていないなど、なかなか切実な様子でした。

その中でも腕でカバーしますと笑顔の隊員さんに頼もしさを覚えながら、こういった部分での発信も政治家の仕事かと思います。

【仕掛ける】 自国が関連する戦争を他人事と考える意識について 【仕掛けない】

今朝、飛行機の待ち時間で読んでいた記事ですが、非常によくまとまっていると思います。

岐阜県可児市へ行政視察に来ました

本日は岐阜県可児市へ、行政視察に来ております。

岐阜県可児市では「いじめ防止条例」を定めており、内容を詳しく伺いにきました。

平成22年に行われた市長選で公約に「いじめ防止」を掲げて勝利し、その結果として制定された条例となります。議会も付帯決議を行い、すみやかな条例制定につながったそうです。

内容としては、
・地域全体でいじめを問題として共有する
・いじめ防止専門委員会を設置し、そこで防止、解決の方策を決める
という条例になります。

視察中、かなり突っ込んで質問してしまいましたが、いじめ案件で難しい点は、
・実態の把握が難しい
・教師、あるいは教育委員会に捜査権がない、あるいは教育界に事なかれ主義が蔓延している
といった点があがるかと思います。

また、
・そもそもいじめの定義が難しい
という点も問題と思います。
犯罪として本来定義されるべきものが、いじめというだけで幅広く定義されてしまう。
この言葉の歪みをどう正すのかも、この問題を扱う上では重要かと思います。
実際私も学生時代に暴行を受けた経験があります。暴行中、髪を持って振り回されたおかげで頭皮が破れたこともありますが、今でも普段こづかれていたそれと、この怪我と明確な線引はできません。

さて、そこに一定の答えを上げていると感じたのが可児市の条例です。
制定前に年間190件あったいじめ認定が、制定後は110件前後に減ったそうです。担当部長の話では、犯罪に至る前の段階でストップをかけれるのが一番ということでした。
部長いわく、「いじめは永遠になくならない課題」、私も同感です。
そこを理解し、問題の質を「いわゆるいじめ」のレベルで大人や地域に連絡できる仕組みをつくり、犯罪レベルに達する前に解決できているようです。

また、生徒間のいじめに限らず、先生による「いじめ」、あるいは生徒による先生への「いじめ」への門戸も開いているという点も有効に機能しているということで、昨今の教育界が抱える諸問題へのアプローチとしては成果を出しているように感じます。

ちなみに、可児市でのいじめの定義は、
「子供が一定の人間関係にあるものから、心理的または物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とのことで、いい文言かと思います。


担当課からお話を聞く前は、
・子供の自立心を損なうのではないか?
と疑念を抱いておりましたが、あくまで条例を通して地域で認識を変えるという点を重視しているようです。システムばかり見てしまいがちでしたが、こういった意識変革は非常に有効かと思います、視察にこれてよかったとつくづく思いました。

一方でもう一点の危惧、
・通報の悪用はないのか?
という点は、今のところないそうですが、実際は動きながら対応を考えるという段階のようでした。

2013年8月18日日曜日

イシノマキカワノカミ大学#2に参加してまいりました

Ishinomaki Kawanokami Project様で行っているまちづくり勉強会。

イシノマキカワノカミ大学

に参加してまいりました。
同僚議員と学長から紹介があり、ぜひいかねばと思っていた矢先、都合で出張先がキャンセルになってしまったので急遽申し込ませて頂きました。対応頂きありがとうございます。

「いい風景、地域らしい風景のつくりかた」

をテーマに進士五十八先生の講演です。

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テーマからまちづくりの技法的な内容を想像しておりましたが、意外や意外。
先生の経験談から、まちというシステムをどう人間が自然の中に再構築するかを主題に講演くださいました。
踏み込んだ内容では宗教観、政教分離の在り方。戦後日本の東京詣の虚しさ、マスメディア批判など、石巻ではなかなか聞けないお話でした。

興味深いところで、以前、宮脇昭先生がおっしゃっていた瓦礫活用、そして「森」という存在と農村について、まったく同じ内容を、違う言葉でおっしゃっていたのが印象的です。

以下、私見。
「震災という悲劇を乗り越えて、ピンチをチャンスに変えなければならない」 
 私が政治家を志したのも、これが理由です。
デフレ下で日本中が苦しい中、 石巻はつらい悲劇と、再生という大きな大きなチャンス=責任を背負いました。
おそらくは、震災がなくとも自治体として落ち込んでいた中で、その流れを覆す機会を得たわけです。この、ゼロからスタートしなければならないまちづくりという機会は、先進国にあってよほどのタイミングでなければできません。

ダイナミックに、そして未来に誇れるまちづくりにしなければならない、そうしなければ責任を果たしたことになりません。

ですが悲しいことに、被災地の復興が遅れているのが現状です。 
理由はさまざまにありますが、今回の講演を受けてイメージの共有化が出来ていないことが問題のように私は感じました。

こういうまちにしたい。
ああいう都市にしたい。

そういった想いがないまま、二年半。
「都市は文明であり、農村は文化である。今、文明は文化を求めている」
ロハスや田舎暮らしという言葉が一時期はやりましたが、表層の流行ではなく、こころの奥にある故郷を石巻に蘇らせる、今やるべきまちづくりとは精神の再生ではないかと思います。

まちづくりという単語は、ややもすれば都市計画と誤解されがちです。
本質は、そこにどういう文化を形成するのか、暮らしの中でどういう営みが根底にあるのか。そういう切り口もあるのだなとあらためて感じました。
そして、だとすれば我々の求めるまちづくりというものはそう難しくないと思います。
近代的な都市形成もあってもいいでしょう、しかしその軸にある、我々が先祖代々伝えてきた営み、近代化の中で途絶えかけていた営みをもう一度都市に落としこむ、そういったまちづくりを石巻で出来るよう、精一杯活動してまいります。

2013年8月11日日曜日

アテンドを終えて

お盆前。

某雑誌記者さんからお電話を頂き、被災地で頑張っている志ある若手からインスピレーションが欲しいということで2日間に渡りアテンドさせて頂きました。
忙しい時間の中、調整不足の中でも快く時間を割いてくださった皆様に感謝申し上げます。
10人前後の方にお話頂きましたが、共通するキーワードをいくつか頂きました。
・問題の根本は震災前からあった状況で、遅かれはやかれ顕在化していた
・方向の良し悪しはともかく、震災前の状況に戻すことを復興とは思っていない=繁栄があってはじめて復興終了となる
・ここからをチャンスと捉え行動している、その背中を子供たちに見せたいと思っている
また、何人かの方からは人間の生き方、あるいは尊厳という言葉も聞けました。
大変大きなテーマです。社会的に変な風潮が蔓延する中、震災を乗り越えた土地だから発信できるものもあるのだなと再確認しました。

さて、最近のエンタメのヒットには哲学が大きな要因になっていると思います。
ただ難解なだけではなく軸を持っている、 あるいは世界観の広がりがある、人の根本に関わる問題への作品なりの解答を持っている。
なんとなく好みの作品が浮かんでくるかと思います。
ひょっとするとまちづくりも同じ。
平等教育の弊害か、とかく金太郎飴、コピペのまちが多い中で、 個性を出す町、出せる町。後付でも先付けでも哲学を設定し、ストーリーを補完する。そんなまちづくりに邁進してまいります。

山形県南陽市にボランティアへ行って参りました!

豪雨災害で記録的被害を受けた山形県南陽市へ、石巻青年会議所としてボランティアに行って参りました!

https://www.facebook.com/NanyoSaigaiVC 

「受けた恩は返す!」「返せるように立ちなおる!」

これが私の原点です。実践あるのみ。

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青年会議所で出向させていただいてます東北地区復興推進委員会の田中委員長とひさびさのご対面。
なかなか出席できずに申し訳ありません。

現場では流木の撤去をさせて頂きました。

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被害の状況は今は落ち着いているようで、作業も少なく、夕方前の解散予定が正午には解散になりました。
お盆過ぎにはボランティアセンターも解散したいとの意向です。

震災を受けて、ボランティアにもいろいろな側面があることを学びました。
一番の感謝を捧げるべきは無償の労働であり、目に見えて困っている人がいるのだから助けて当たり前という道徳心に裏打ちされた行為です。

この困っていることというのが厄介で、それが日常のもの=社会や政治の問題なのか、非日常の問題なのかによって、ボランティアがやるべき行動の性質は変わってきます。
なぜならば、日常の問題は外部の者が直接テコ入れしても、
・社会上、有耶無耶にされてきた部分であり、強引に解決すると不条理がでたり
・区分けをはっきりさせようと、 安易な二元論が現場にはいってきたり
・ 最終的な意思決定を外部がしてしまい、結果的に元通りになってしまったり
と、さまざまな弊害があるように思います。
こういう点を理解して活動しているボランティアの方が多いのですが、一方でボランティアをしたいだけのボランティアもまだまだいらっしゃいます。

震災を通していろいろなものを見ましたが、どんな問題においても必要なものは自立意識なんじゃないかなと学びました。 

はやく非日常から日常へ戻れるように支援する、そして内在する問題は当事者に任せつつサポートする、そんなボランティアを石巻から発信していければなと思います。