Twitterタイムライン

2014年3月13日木曜日

自立と支援

議員になった後も、ボランティア活動は少しずつですがやって来ました。
時には大変な思いをしたこともありますが、概ね、嬉しかった、よかったという反応を頂きます。

私は、青年会議所の友人たちとボランティアを始めた時から、変わらぬ決意が有ります。

・自分も一被災者としていること

これは顔に出てしまったりと、なかなか難しいことでしたが、被災者であるが、最後に立つのは自分の意志であるという点を大事にしたいからでした。

・ 物資配布は極力しないこと

最も心配したことは物資漬けであり、そこに陥っては自立、復興ができなくなる。
特にこの点を、敬愛する青年会議所の友人たちと意見を合わせて、徐々に物資支援を減らしながら、ある友人はコンサートの誘致、ある友人は日常の活動へと回帰していきました。

私自身、さまざまな人の手を借りて、仮設住宅へコンサートを三回行い、今に至ります。

さて、ある学校に、地方議員の友人たちと支援した際、そちらから、復興の現状をまとめた冊子、と支援へのお礼、子どもたちの写真が入った封書が、後日送られてきたことが有り、大変嬉しかったことを覚えております。
それは、つらいときであればあるほど思い出した礼節、理不尽に耐えた我慢のこころを、きちんと子どもたちに伝えている学校なのだなと感じたからです。 

たかが礼状ひとつ、たかが国旗、国歌。
そういう人たちも多いのでしょう、しかし、その「たかが」にこそ気持ちが宿るのだと思いますし、震災で発揮し得た縦糸と横糸がそこに宿っているように思います。

津波で何もかも流された後、残ったものは何だったのか。
パンドラの箱のように最後に残ったものをしっかりと、大事に育てていきたいと思います。 

0 件のコメント:

コメントを投稿