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2014年8月27日水曜日

龍馬プロジェクト九州ブロック研修会、一日目!

初日は、同年代にして市長になった崎田恭平さんの講演を。
九州では最若手。

包括的ケアや行政のあり方なども、首長の視点から直接お話をきける機会はなかなかないため、大変勉強になる内容でした。
まちづくりにも尽力されており、その一部を聞いただけですが素晴らしい政策立案と実行力。石巻市においては非常に参考になる事例ばかりでしたので、質問に反映させていきます。

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続いて、KAZUYA氏の講演。
「あべちゃんねる」を定期化できないかと悩んでいたのですが、懇親会などでもお話させて頂き、今後の展望を少し具体化できそうです。
参考になるキーワードが多かったので、こちらも参考になりました。

懇親会では、一般質問のあり方などを議論させて頂き、立法者という立場を再確認。
議会中、行政マンにも響くような内容にしなければ、結果として行政コスト=時間を無駄にしているだけというのは非常に共感します。

明日は二日目、いよいよ対馬へ。 

2014年8月17日日曜日

8/15日、宮城県護國神社英霊奉謝祭に参列して参りました

去年より車は多かったのですが、幾分参列者が減ったような…

私の政治的目標には、ご英霊の名誉回復というのがあります。
ある方のおかげで護國神社様にお参りするようになりましたが、それまでは靖国神社に行っておりました。
昨今の「朝日新聞社による、いわゆる従軍慰安婦に関する誤報」もそうですが、大東亜戦争の実態が徐々に明らかになっております。
「ひょっとしたら、戦後の歴史観、国家観、国際感覚、外交はつくられたマイナスの土俵にあるのではないか?」
そのつくられた世論の中で、もし国民がご先祖様、ご英霊を悪鬼邪神のように感じているのならばそれは違います。

私の基本的スタンスは、「悪いことがあれば謝る、しかしながら政治、国際社会には嘘や捏造はあって当たり前なので、それを見抜く目を持つ」が大前提だと思います。
日頃から、復興に関する美辞麗句への疑問や、キレイ事だけの復興に疑問を投げかけているのはここから来ている感覚です。  

私の立ち位置をはっきりしているので、よく、
「自衛権拡大は怖い」であるとか、「軍靴の音が」というお話をされます。
そういう際、お話することは、思想的右左を問わず、最終的目標は「自国、公の恒久的平和」であることは疑う余地がありません。
問題はその際の手法にあると思います。
現実社会において、力とは経済、外交、戦力を含めて総合力になりますが、そのバランスは緊迫してくればくるほど、戦力に比重が置かれるのは言うまでもありません。 
その現実的なバランスがどうなのか、そして、今決断しなければどうなるのか。
ご英霊が望んでいる、私が望んでいる「平和」は、決して「奴隷の平和」ではありません。
皮肉なことに、本来であれば自由、平等、博愛の精神をベースにしているはずのリベラル勢が、自由の本質を履き違えている点は非常に情けない限りです。
何からの自由であるべきなのか、あるいはなにへ向かっての自由であるべきなのか。 

私はこの国に生まれてよかったと心から思っております。
私を育ててくれ、今なおすれ違いながらも気付きを与えてくれる多数の方々に感謝するということは、彼らが守りたいものを政治的に守ることとイコールではないでしょうか。
私の帰結としては、彼らが守りたいものとは彼らの誇りであり、名誉であると思っています。 

願わくば、平和が続くことを祈りますが、それは一方的な譲歩や、誤報、嘘をベースにしたものであってはなりません。
それは、誇りや名誉の向こう側にあります。

そしてそれは、311の震災で亡くなった方に報いることとも繋がっている気がします。
国歌を歌わない追悼式であったり、様々なところで見え隠れする死者への不遜は、あってはならないこと。
復興の本質は、彼らの願いであるよりよい発展を市全体が目指すことであるべきです。
同様、ご英霊の思いを受けて、よりよい社会、国づくりに、地方からの活力が必要ではないかと思います。

終了後、心強い仲間たちと。
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2014年8月5日火曜日

政治家の最低要件は現実認識

だと私は思うのです。

先日、ある支援者とお話していた際、こういうことを言われました。
「地方議員の本質は、議会において行政のチェックを行うこと。すなわち、過去の政策に学び、行政の視点の中でかけている点があれば指摘し、その将来像においてまずい点があれば取り上げ、良い点があれば応援すること」
私も全く同感です。

また、市民感覚という言葉において、
「 だれがやっても同じという言葉が蔓延している中で、市民目線は維持する必要はあるが、市民の中から飛び出た存在となってほしい」
「真に必要な感覚は国際感覚であり、村、町、市、県、国とあらゆる部分にある政治家が自分たちの地域を守るために努力しなければならない、その先端を行って欲しい」
というエールを頂きました。

思いや情熱というのは社会を動かす起爆剤になりえますが、そういった感情の部分は、時として足元をすっぽりと忘れて走りがちです(私も何度も何度も経験があります ;;)。
進まない復興への苛立ちや大きすぎる爪あとから、先ほどまで手を合わせて頑張ろうと言っていた方が、行政や官僚、あるいは国や議会の非難をずっとしていたり、そのプロセスや役割を無視して話を展開しがちです。
各々の役割の中で果たすべきことをしっかりと認識するためにも、まずは現実をどう認識し、共有し、其の上で各々の立ち位置や能力から議論できる土壌づくりこそが、今求められているのかもしれません。 
いずれ来る10年先の未来に、今の現実をどう進めれば輝かしい将来を引き寄せられるのか、市民目線を土台に一歩飛び出て、やってみようかと思います。 

さて、本日、
朝日新聞社が吉田発言について誤報を認めました 。

いわゆる慰安婦問題については、祖先の名誉を汚すだけではなく、現実の国際関係においても多大な影響を与えている問題です。
記事中、吉田発言の誤報は認めておりますが、軍関与については取り下げておりません。
インドネシアのくだりでは、戦時中に処分された事例を元に軍関与をほのめかしておりますが、実際に軍が処分している内容を問題にしている矛盾に、まだメディアは気づいていないようです。
まだまだメディアの偏向報道のは深いと感じます。

現実認識とは何かといえば、つまりはこういうことではないかと思います。
そもそも吉田発言については10年以上前から疑義が出ていた問題であり、これによってどれほどの国益が損なわれたのか、今回の記事取り下げは勇気のいる決断だったかと思いますが、あまりにも遅すぎます。
そして、こういった疑義の在る内容にも関わらず、その尻馬にのっているだけの政治家にも残念な思いを抱いてなりません。

人間の認識には限界が必ずあります。
ネットはその枠をほんの少し広げてくれました。おかげで、今日、まずは国益に関する重大な一歩目になったわけです。
復興においてもそう、先日、あくまで復興は遅れていないと言いはった方がいましたが、現実、市民の感覚では進んでいません。
では何がそう感じるのかといえば、ひとつは目に見えた形が見えないこと、そして全体的な計画が見えてこないこと、最後に、きちんと発信できていないことの三点につきると思います。

市民の声もひとつの感覚として受け取り、その上でどうすればこの感覚をポジティブに変えていけるのかを、政治家自身が先端を走る必要があるかなと思います。