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2014年8月5日火曜日

政治家の最低要件は現実認識

だと私は思うのです。

先日、ある支援者とお話していた際、こういうことを言われました。
「地方議員の本質は、議会において行政のチェックを行うこと。すなわち、過去の政策に学び、行政の視点の中でかけている点があれば指摘し、その将来像においてまずい点があれば取り上げ、良い点があれば応援すること」
私も全く同感です。

また、市民感覚という言葉において、
「 だれがやっても同じという言葉が蔓延している中で、市民目線は維持する必要はあるが、市民の中から飛び出た存在となってほしい」
「真に必要な感覚は国際感覚であり、村、町、市、県、国とあらゆる部分にある政治家が自分たちの地域を守るために努力しなければならない、その先端を行って欲しい」
というエールを頂きました。

思いや情熱というのは社会を動かす起爆剤になりえますが、そういった感情の部分は、時として足元をすっぽりと忘れて走りがちです(私も何度も何度も経験があります ;;)。
進まない復興への苛立ちや大きすぎる爪あとから、先ほどまで手を合わせて頑張ろうと言っていた方が、行政や官僚、あるいは国や議会の非難をずっとしていたり、そのプロセスや役割を無視して話を展開しがちです。
各々の役割の中で果たすべきことをしっかりと認識するためにも、まずは現実をどう認識し、共有し、其の上で各々の立ち位置や能力から議論できる土壌づくりこそが、今求められているのかもしれません。 
いずれ来る10年先の未来に、今の現実をどう進めれば輝かしい将来を引き寄せられるのか、市民目線を土台に一歩飛び出て、やってみようかと思います。 

さて、本日、
朝日新聞社が吉田発言について誤報を認めました 。

いわゆる慰安婦問題については、祖先の名誉を汚すだけではなく、現実の国際関係においても多大な影響を与えている問題です。
記事中、吉田発言の誤報は認めておりますが、軍関与については取り下げておりません。
インドネシアのくだりでは、戦時中に処分された事例を元に軍関与をほのめかしておりますが、実際に軍が処分している内容を問題にしている矛盾に、まだメディアは気づいていないようです。
まだまだメディアの偏向報道のは深いと感じます。

現実認識とは何かといえば、つまりはこういうことではないかと思います。
そもそも吉田発言については10年以上前から疑義が出ていた問題であり、これによってどれほどの国益が損なわれたのか、今回の記事取り下げは勇気のいる決断だったかと思いますが、あまりにも遅すぎます。
そして、こういった疑義の在る内容にも関わらず、その尻馬にのっているだけの政治家にも残念な思いを抱いてなりません。

人間の認識には限界が必ずあります。
ネットはその枠をほんの少し広げてくれました。おかげで、今日、まずは国益に関する重大な一歩目になったわけです。
復興においてもそう、先日、あくまで復興は遅れていないと言いはった方がいましたが、現実、市民の感覚では進んでいません。
では何がそう感じるのかといえば、ひとつは目に見えた形が見えないこと、そして全体的な計画が見えてこないこと、最後に、きちんと発信できていないことの三点につきると思います。

市民の声もひとつの感覚として受け取り、その上でどうすればこの感覚をポジティブに変えていけるのかを、政治家自身が先端を走る必要があるかなと思います。 

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